外国人を「同じ人間」として見られない。それは心が貧しいからです。自分が「人間として」どう生きるかという哲学を持っていないからです。哲学を学ばず、目先しか見ていない。欲望のままに貪(むさぼ)る心、強いものにはへつらい、弱いものはいじめる心、その悪根性(あくこんじょう)でできあがった社会であるから、人を差別心、人権を無視する社会ができてしまう。
大事なのは「人間として」生きることです。それなのに、多くの日本人は、人間として生きる前に、日本人として発想してしまう。心の狭い島国根性です。少しでも「異質」だと思うと、排除したり攻撃したりする。その閉鎖性が、国際的にも孤立を招いているのです。
「教育の世紀」へ より
この塾にも外国人の子供たちが来てくれています。
幸い、狭い心で相手を見るような子供たちはいません。
みんな本当に仲がいいですし、同じ視点に立って行動しています。
以前勤めていた会社では、いろいろな国から多くの人たちが集まって
一緒に仕事をしていました。
韓国、インド、フィリピン、シンガポール。
ヨーロッパからは、フランス、イギリス、
そして、アメリカ、カナダ、オーストラリア・・・。
一か所にこれだけの国々方々集まると、だれも誰かを「異質な目」で
見るようなことがありません。
皆「人間として」生き、働いていました。
それに人間としてのリテラシーも高い方々が多かったように思います。
子供たちは、それほど深刻な「差別意識」などなく、
みんなで楽しくやっているのに、
大人の社会に近づけば近づくほど、「偏見の目」で他人を見ている人が
多いような気がします。
その意識というものは、いつか子供たちの社会に
投影していきます。
私たち大人が、もっともっと「人間の勉強」をしていかなくてはいけません。
多くの子供たちが、世界に羽ばたいて
世の中の役に立つ人材に育ってもらうには、
私たち大人に全てがかかっている気がします。